備中(びっちゅう)高梁(たかはし)の松山藩は表向きは5万石であったものの、実際は2万石を下回っていました。年収では約15億円に当たります。ところが藩の重役たちは5万石に相当する運営をしていたので毎年大赤字。 この赤字額は大阪の金融業者から借入をして補ったために借入金がふくらみ、とうとう借入額は10万両にも達しました。(約100億円)この額は松山藩年収の6.7倍にも達しています。 養子で新しく藩主になった板倉勝(かつ)静(きよ)は、嘉永2年、1849年農民出身の秀才山田方谷を抜擢し、財務大臣に当たる元締役に取り立てました。 山田方谷先生はかねてより考えていた再建策を実行に移し、わずか8年で60億円の借入金を返済したばかりか、60億円の利益を出したのです。 山田方谷先生が打った手は、ランチェスター弱者の戦略とまったく同じです。なんと今から162年も前に、弱者の戦略を考え出して実戦した人がいたのです。 不況が長く続いていたところに、東北大震災と福島原子力発電所の事故が重なり、経済界はまさに3重苦。この大ピンチを脱出するのにとても役立つのが、山田方谷先生の戦略対策です。
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