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「ランチェスター法則」の誕生と展開


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?50代後半のフレデリック・W・ランチェスター
              (1868年~1946年)
 
                         


イギリス本国では、「ランチェスターカー」で有名

 F・ランチェスターは、1868年(明治元年)、10月8日、イギリスのルイズハムで、建築家だったヘンリー・ジョーンズの次男として誕生しました。サザンプン大学の前身であるハートレイ技術専門学校、ロイヤル科学大学、さらに昼間働きながら、フィンスベリー工科大学の夜間部で学びました。
 
 21才で、バーミンガムにあるガスエンジン会社に就職。
 25才で独立・起業。イギリス初となるモーターボートを発明。航空機の研究を始めましたが、時代が要請している自動車に転向、自動車用エンジンの開発に取り組み、27才のとき、完全オリジナルの自動車を完成させました。そのあと、1年かけてこれを改良しました。この車は音が静かで性能が良かったので注文が入ってくるようになり個人企業で自動車の生産を始めました。
 31才で「ランチェスターエンジン・ガス会社」に組織を変更。
 40才のとき、資金調達が難しくなり、会社をイギリスのダイムラー社に売却。 
 41才、ダイムラー社の技術コンサルタントに就任。
また、38才のときには、「空中飛行学」、39才では「空気動力学」の本を出版。40才、航空学のロイヤル諮問委員会に任命されました。
 

戦争勃発直後、雑誌に「集中の法則」と「集中の法則の応用」を連載!

 1914年、45才のとき、7月28日に勃発した第1次世界大戦に刺激を受け、今後戦争はどうなるかについて考えたものを、「技術雑誌」に9月4日から連載を始めました。
 10月2日、「集中の法則、N2乗法」というテーマで記事を発表。この中に第1法則と第2法則を記しています。
 10月9日、「集中の法則の応用、N2乗法」について掲載。これら10月2日、9日に発表されたものが、後にランチェスター法則と呼ばれるものです。
 1916年はじめ、「戦闘における航空機-4番目の兵器の幕開け(Aircraft in Warfare;the Dawn of the Fourth Arm)」を出版。バーミンガム大学から名誉博士の称号を授与。
 1919年、51才で14才年下のドロシーと結婚。
 1925年、57才のとき、(株)ランチェスター研究所を設立。
 1946年、3月4日、パセドウ氏病が原因で満77歳で死去。

自慢だったのにもかかわらず、
イギリスでは、広まらなかった「ランチェスターの法則」


  F・ランチェスターは、一生の間、全部で29にものぼる研究論文と本を書いており、その研究は国際的にも認められ、賞賛を受けました。
 晩年、雑誌の記者が、「人生を振り返って1番自慢できるものは何ですか」とインタビューしたとき、「それはランチェスター法則だ」と答えたと伝えられています。F・ランチェスターには、それほど思い入れがあった「ランチェスター法則」ですが、イギリスで、ランチェスターといえば、「車」という答えが返ってくるのが一般的です。


ランチェスター先生の私生活
 以下は、「知られざるランチェスターの経歴」(弊社で出版、非売品)からの引用です。作者は、ランチェスター兄弟の末っ子であるジョージ・ハーバート・ランチェスター(1874年~1940年)。ランチェスター先生とは6歳下になる。

 フレデリック・W・ランチェスターは、1919年51歳のとき、ノース・ランクスのフィールドプラフトンに住む牧師トーマス・クーパーの娘で14歳年下のドロシーと結婚した。だが子供には恵まれなかった。
 趣味はヨットと音楽で、たとえ仕事で忙しいときも自分の楽しみを忘れる人ではなかった。彼は一流のヨットマンであり航海者であった。
 音楽においては、40歳の頃になってボイストレーニングを始めた。それは、たぶん講義をするときのための訓練だったと思うが、彼の声はたくましく高めのバリトンであった。音楽に対する情熱は、だんだんにクラシックへと注がれるようになった。中でもドイツの歌曲とワーグナーの壮大なオペラに魅かれるようになり、自分で作曲もするようになった。
 最も多くの発明をした数年間は、バーミンガムから20㎞離れた農場に住んでいたが、田舎の暮らしも大変楽しんでいた。カントリーライフが大好きだったのである。
 フレデリック・W・ランチェスターは、ユーモアもたくみで、しばしば講演会などでそのセンスを発揮し、大いに盛り上げたものだ。
 1937年にかかった病気はパセドウ氏病で、この病気から完全に回復することはなく徐々に悪くなっていった。仕事は制約されるようになったものの、ただ幸いなことに頭脳はしっかりしていた。
 その後、視力は衰え、手の一部は中風になるという不運にあったにも拘わらず、多くの科学的成功を成し遂げた。
 しかし1946年、パセドウ氏病により自宅で永眠した。満77歳であった。




※愛知県豊橋市にある「愛知県トヨタ博物館」ではランチェスターカーが大切に保管されています。日本で唯一見学できる所です。
 写真下は2009年10月2日、弊社が開催した「ランチェスターカー見学会と記念セミナー」での見学風景です。ランチェスターカーを間近で見学することができました。当時は地下1階に保管されていました。ランチェスターカーを見学したい方は、「愛知県トヨタ博物館」へお問い合わせください。   
  ▼写真提供は、愛知県豊橋市のすぎうらあきのり氏です。
    「すぎうら保険設計」0532-38-5935 

 


敗戦後の日本に入ってきた「オペレーションズ・リサーチ」に触発され
第1次「ランチェスター戦略ブーム」が起こる


第2次ランチェスタ戦略ブームについては、
ランチェスター「弱者」と「強者」の語源をご覧ください。







ランチェスター経営(株) 竹田陽一


>>>竹田陽一の戦略テープ開発物語もご覧下さい。


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