1. 44歳のとき起業
私は1983年6月16年間務めた、東京商工リサーチを辞めてランチェスター経営を創業し、経営相談と講演業を始めました。44歳のときです。
商工リサーチでは平均社員の7.7倍の売上を上げていたのと、すでに1000回を超す講演をしていたことで、多くの社長と知り合いになっていました。このような事情で独立したら、すぐ10社の顧問契約ができました。
顧問契約をした会社に対応する方法は、次のようにすることにしていました。
まず、強いもの作りや1位作りの「利益性原則」と、ランチェスター戦略による「弱者の戦略」の2つを基本思想にして、商品、営業地域、営業方法、顧客維持の方法、組織作り、財務など、経営を構成する「大事な要因」を1つ1つ点検します。
もし弱者の戦略ルールに反しているところがあったら、これを社長に説明して直してもらいます。こうすると経営システムの性能が良くなるので、それにつれて業績が良くなります。これが「ランチェスター戦略と竹田経営システム」による、経営改善の基本的な作業手順になります。
そこで顧問先の会社を訪問して社長と会ったら、まず商品、または有料のサービスを点検します。そのあと、どの商品に力を入れて強くするか「重点商品の決定」と、その会社の経営力に合わせて商品の最大範囲も決めます。
次は、営業地域の決め方についても、同じやり方で見直していきます。そのあと1位を目ざす重点地域と、最大範囲の2つを決めます。
2. 戦略教材を開発するキッカケとなった3つの原因
ところが顧問先の社長と、この手順で話し合いをするため2回目か3回目の訪問のとき、早くもこの作業が進まなくなったのです。
仮に進んだとしても、すぐ後戻りをしてしまいました。これでは経営改善ができないので、当然業績向上は見込めません。そのとき、なぜこうなるだろうかと時間をかけて考えていたら、その原因が解りました。
その1つ目は、社長が経営規模の大中小で変わる自分の役目が解らず、大会社の社長の役目が正しい方法であると、強く思い込んでいたからです。
A社長と商品対策の話をしていたら、従業員は60人位であるのに、商品対策は「工場長と営業部長に任せている」というのです。商品の決定は特別重要になるのに、これでは経営改善が進みません。
2つ目は、社長が戦略と戦術の区別がつかず、繰り返し作業の戦術だけが、経営の大事な仕事であると強く思い込んでいたことにありました。
B社長は、営業地域の決め方が悪いことが原因で、生産性マイナスの移動時間が、50%を超している販売担当者が3割以上いるのに、これを直そうとしませんでした。これでは道路には詳しくなるものの、赤字になることははっきりしています。
そして社長は私に、販売担当に「ヤル気が出る研修をしてくれ」というのです。しかし戦略上のミスを、販売戦術でカバーすることはできません。
3つ目は、強者の戦略と弱者の戦略の区別がつかず、強者の戦略が正しい経営のやり方であると、強く信じていることにありました。C社長は、本業と全く関係がない業種に手を出していました。
そして業種の数を多くすると経営が安定すると言って、私の話を聞かないのです。これでは経営改善ができません。
しかしこれらの社長は私より12歳以上年上だったので、戦略の間違いを強く言って直すことができませんでした。
3. 戦略教材の必要性を痛感
このとき、これにはどう対処すればよいか時間をかけて考え、次のようにすることにしました。
まず従業員100人迄の社長を対象に、1位作りとランチェスター戦略を基本思想にした、フルラインの戦略教材を開発する。
次はフルラインの戦略教材を、購入してもらった社長とだけ顧問契約をする。
こうすると、社長が責任を持って担当すべき役目の理解ができるばかりか、戦略と戦術の違いもはっきりでき、さらにランチェスター戦略による、強者の戦略と弱者の戦略の理解もできるので、経営相談が簡単になると考えたのです。
そこで顧問契約はすべて断り、戦略教材を作るとき必要による経営戦略の研究と、教材開発に必要な資金作りに力を入れることにしました。
4.講演に力を入れ全国を回る
独立する前、1000人の社長と知り合いになっていたことで、独立の「お知らせ」をしたら講演の依頼が多くあり、1年目は302回、2年目は300回、3年目は298回と、3年間で900回の講演をしました。そのあとは1日セミナーや1泊2日のセミナーが多くなったので、講演回数は少なくなったものの、売上は多くなりました。
あるテーマでの講演回数が、300回~500回になると実力が高まっていき、「自分独自の考え」が持てるようになります。こうして実力が高まったので、当初考えていたように従業員100人以下、とりわけ30人~50人規模の社長を対象に、フルライン構成による、戦略教材の原稿書きに取り組むことにしました。
5. 1年かけて書いた原稿は全部捨てた
独立から4年後の5月から、講演のない日などを利用して原稿書きを始めました。1年後に第1部となる、「経営の基本原則とランチェスター戦略」の原稿がほぼ出来上がりました。
そこで5月の連休を利用して、改めてお客の立場に立って原稿を見直したところ、大きなショックを受けました。それは内容が悪く、「これでは売り物にならない」ということが解ったからです。やむを得ずこの原稿は全部捨てることにしました。そのあと「なぜこうなったのだろうか」と考えたら、原因はすぐ解りました。
それは講演で各地を回っていると、ひどく疲れます。ひどく疲れると、内臓と筋肉が優先して「酸素と栄養」を消費する、頭の脳細胞に回る酸素と栄養が少なくなります。これでは脳の働きがグンと悪くなります。これに加え、私はもともと文章書きがとても下手でしたから、内容がひどく悪い原稿になったのです。
この解決策は1つしかありません。それは講演をやめて、休業することです。休業すれば体の疲れがなくなるばかりか、原稿書きに集中できるので、良い原稿が書けるからです。
6. 休業の決心がつかず迷いに迷った
しかしそのとき1年の売上は、4000万円ありました。もし5年間休業するとしたら、2億円を損することになります。「これは惜しい。もったいない」と、独り言をブツブツ言いながら迷いに迷って、1カ月位は仕事が手につかない状態でした。
ちょうどそのとき地元の新聞に出ていた、富士山の登山ツアー広告が目に留まりました。「よし富士山の頂上で、5年間の休業を決心しよう」と考え、区切りが良い8月1日に登頂する日程を、嫁さんと私の2人分の申し込みをしました。
こうしたのには理由があります。それは何年か前に本を読んだとき、「儀式を伴った決心をすると、心変わりをしなくなる」と、書かれていたのを思い出したからです。
8月1日はとても良い天気でした。しかし富士山の8合目あたりになると、空気が薄くなった上に、登り坂が急になるのでとても山を登るのが大変でした。嫁さんは高山病にかかり死にそうな顔をしていたので、道案内の剛力さんは「すぐ下山しなさい」と言いました。
しかしこのチャンスを逃したら、このあと富士山に登ることはないだろうと考え、嫁さんの手を引っ張って、どうにか頂上にたどりつきました。頂上の山小屋に着いたら、嫁さんはバッたりと倒れ込んでしまいました。
7. 火口に向い大声をあげて決心!私はこれからが本番です。
まず1杯700円の、インスタントラーメンを注文して元気をつけたあと、火口まで行きました。火口に向って「来年の4月から休業する。何がなんでも休業する。絶対に休業する」と、大声で何回も叫びました。大声による決心です。
火口付近には、高さが2mが3mもある大きな岩がゴロゴロ転がっていたので、この岩に石を投げつけたり、「休業する」と言って足で蹴ったりしたあと、すっきりして下山しました。
こうして翌年の1989年4月から休業し、原稿書きに専念しました。
毎日、朝7時30分~夕方6時までの約8時間、原稿を書くのはとても大変でしたが苦労のかいあって、4年半後の1993年の10月末に、ようやくランチェスター戦略を基本思想にした、フルラインの戦略教材が完成しました。55歳のときです。
テーマは、
①経営の原則とランチェスター戦略。
②商品戦略。
③地域戦略。
④営業戦略。
⑤顧客維持の戦略。
⑥販売戦術。
⑦組織戦略。
⑧財務戦略。
⑨時間戦略。
⑩リーダーシップの戦略。
⑪経営計画。
⑫ランチェスター法則原書の翻訳と復刻版
で、カセットテープは「67巻」、テキストは12冊になりました。
これが完成したときには、当初用意していた8000万円の資金がほぼ底をついていました。完成したあと6カ月間販売に力を入れ、開発に使った資金の7割以上を回収しましたが、私の身長は175㎝あるのに、体重は52.5キロ迄やせてひどい状態になっていました。
8. 従業員用と小企業の経営戦略を制作
ランチェスター戦略を基本思想にした、フルラインの戦略教材が完成して6カ月後には、会社勤めをする人を対象にした、「人生の流れを大きく変える、逆転の人生戦略」13巻の開発に取り組み、6カ月後に完成しました。
このあとほどなく、従業員20人以下の社長を対象にした、フルライン構成による「小企業の経営戦略」20巻構成の開発に取り組み、およそ1年後に完成しました。この教材を作るのにもかなり苦労しましたが、これで音声を中心にした、「100巻の戦略教材」開発が終わりました。
9. ビデオ教材開発に着手
従業員100人以下の社長に役立つ戦略教材を準備するには、ビデオの教材も必要になります。そこで音声テープによる教材が完成したあと、1年半位して、ビデオ教材の開発に取り組むことにしました。
これ迄、3500回を上回る講演をしていたので、ビデオ教材の開発は簡単にできると思っていたのですが、実行してみたら見込み違いであることが解りました。
誰もいない所で強いライトが当たる中、カメラに向って気楽に話すのはひどく難しく、20回以上失敗して700万円の損がでました。
ビデオの撮影は大型パネルを使い「紙芝居型方式」にしたのですが、パネル用の原稿書きと、パネルの準備に予想以上の時間がかかりました。さらに強いライトが当たるとひどく暑くなるので、7月~10月迄はビデオの撮影ができませんでした。このような事情で、ビデオによるフルラインの教材「60巻」を作るのに、4年近くもかかってしまいました。
これにより、音声と映像によるフルラインの戦略教材160巻が完成し、販売活動がしやすくなったので代理店作りに力を入れ、10社近くができました。
10. 作り直しのために再挑戦
これで一息ついたのですが、そうもしてはおれなくなりました。
それ迄の録音媒体はカセットテープだったのですが、これがCDに変わったからです。それにカセットテープは、どれも1つのテーマが6巻から7巻構成にしていたので、若い社長から「長すぎる。もう少し短くなりませんか」という意見が何件も入っていました。
さらに説明した内容に、時代の変化に合わないところも出ていたので、再び多くの資金が出ていくが、改めて作り直すことにしました。
ビデオの場合は横長テレビに変わったので、やはり改めて作り直すことにしました。このときは前に作っていた在庫の商品を全部捨てたので、1500万円の損が出ました。
作り直しの分は前に書いた原稿をもとに書き直すので、作業は比較的早くできました。それでも巻数か多いので、8年位はかかりました。
最初に作ったものも加えると、14年の歳月と、1億4000万円の資金が必要になったのです。
11. 学業成績が悪い人は聞く学習が有効になる
大脳生理学の研究と測定器の性能が良くなったことで、学習方法は人によって大きな違いがあることが解ってきました。
その原因は文字を読む「専用の脳」がまだできてなく、39野と40野と呼ばれる脳が、兼任で担当しているからです。
高校時代国語の成績が100人中3番以内の人は、文章を読む速度が早いばかりで、何が書かれているか、これをつかむ「要約能力」が高い上に、「記憶力」も良くなります。こういう人は「文章を読むタイプ」になるので、教材は本が向いています。(旧国立一期校卒業者)
これに対して国語の成績が100人中20番以下、とりわけ40番以下の人は、文章を読むのが遅い上に要約能力も低く、記憶力も悪いのです。これは「学習弱者」になります。中小企業の社長には、こういう人が多いようです。ちなみに私は、60番以下の「番外弱者」です。
しかしあきらめてはなりません。学習弱者は、聞く能力を生かせば良いのです。聞く能力は個人差が少ないので、こういう人は録音教材で何回も学習したり、色彩と絵が好きな人はビデオで何回も学習すればよいのです。
12. 学習効果を決める4つの要因
学習効果は、社長の素質×学習すべきテーマの決定×教材の質×学習回数の、4つで決まります。
この公式が示すとおり、自社の「経営規模と業種」に合った、良い教材を揃えて何回も学習すれば、社長の戦略実力を同業者100人中、3番以内に高めることができます。
こうなれば、社長が作った経営システムの性能がグンと良くなるので、従業員の実力が前と同じであったとしても、従業員1人当たりの経常利益を、業界平均の2倍~3倍多くすることができます。この状態が8~10年続けば、従業員1人当たりの自己資本が1000万円を超すので、経営がとてもやりやすくなります。
13.必要な教材を揃えるには予算の準備がいる
従業員100人以下では、業績の96%以上が、長1人の戦略実力で決まります。
このような事情がある中、社長の戦略実力を同業者100人中3番以内に高め、性能が良い経営システムや性能が良い経営プラントを作って業績を良くするには、教材を購入する予算を、準備しておかなければなりません。
これにはっきりした決まりはありませんが、従業員10人迄は1年に20万円~25万円、10人~30人は25万円~50万円、30人~100人は50万円以上が必要になります。
この状態を7年~8年間続けると、必要な教材はほぼ揃います。しかしこうしている人は、とても少なくなっています。これは見方を変えると、大きなチャンスになるのです。
※ところであなたは、1セット5万円以上する教材はいくつ揃えているでしょうか。それで十分と言えるでしょうか。