ランチェスター経営戦略 ランチェスター経営株式会社


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日本における
ランチェスター法則」の歴史


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?1904年生産のランチェスターカー。

トヨタ博物館では1995年頃この自動車を購入。その後最高の技術で整備・塗装し、いつでも走行できる状態で大切に保管されている。水平対向エンジンで約12馬力
    (写真は、弊社のセミナー風景2009年10月撮影




?秩父宮殿下が特別注文されたランチェスターカー。

1929年(昭和4年)1月に生産が終了し日本に輸入されたランチェスターカー。40馬力その後東京大空襲によって焼失。秩父の宮殿下は昭和天皇の実弟にあたる。
    

                           
 

イギリス本国では、「ランチェスターカー」で有名


 F・ランチェスターは、1868年(明治元年)、10月8日、イギリスのルイズハムで、建築家だったヘンリー・ジョーンズの次男として誕生しました。サザンプン大学の前身であるハートレイ技術専門学校、ロイヤル科学大学、さらに昼間働きながら、フィンスベリー工科大学の夜間部で学びました。
 
 21才で、バーミンガムにあるガスエンジン会社に就職。
 25才で独立・起業。イギリス初となるモーターボートを発明。航空機の研究を始めましたが、時代が要請している自動車に転向、自動車用エンジンの開発に取り組み、27才のとき、完全オリジナルの自動車を完成させました。そのあと、1年かけてこれを改良しました。この車は音が静かで性能が良かったので注文が入ってくるようになり個人企業で自動車の生産を始めました。
 31才で「ランチェスターエンジン・ガス会社」に組織を変更。
 40才のとき、資金調達が難しくなり、会社をイギリスのダイムラー社に売却。 
 41才、ダイムラー社の技術コンサルタントに就任。
また、38才のときには、「空中飛行学」、39才では「空気動力学」の本を出版。40才、航空学のロイヤル諮問委員会に任命されました。
 
戦争直後、雑誌に「集中の法則」と「集中の法則の応用」を連載!

 1914年、45才のとき、7月28日に勃発した第1次世界大戦に刺激を受け、今後戦争はどうなるかについて考えたものを、「技術雑誌」に9月4日から連載を始めました。
 10月2日、「集中の法則、N2乗法」というテーマで記事を発表。この中に第1法則と第2法則を記しています。
 10月9日、「集中の法則の応用、N2乗法」について掲載。これら10月2日、9日に発表されたものが、後にランチェスター法則と呼ばれるものです。
 1916年はじめ、「戦闘における航空機-4番目の兵器の幕開け(Aircraft in Warfare;the Dawn of the Fourth Arm)」を出版。バーミンガム大学から名誉博士の称号を授与。
 1919年、51才で20才年下のドロシーと結婚。
 1925年、57才のとき、(株)ランチェスター研究所を設立。
 1946年、3月4日、パセドウ氏病が原因で満77歳で死去。

自慢だったのにもかかわらず、
イギリスでは、広まらなかった「ランチェスターの法則」


  F・ランチェスターは、一生の間、全部で29にものぼる研究論文と本を書いており、その研究は国際的にも認められ、賞賛を受けました。
 晩年、雑誌の記者が、「人生を振り返って1番自慢できるものは何ですか」とインタビューしたとき、「それはランチェスター法則だ」と答えたと伝えられています。F・ランチェスターには、それほど思い入れがあった「ランチェスター法則」ですが、イギリスで、ランチェスターといえば、「車」という答えが返ってくるのが一般的です。

 


敗戦後の日本に入ってきた「オペレーションズ・リサーチ」に触発され
第1次「ランチェスター戦略ブーム」が起こる



日本には英文の原書が200冊以上輸入されていた!?

 日本でランチェスター法則が最初に紹介されたのは、1916年です。これは、「戦闘における航空機-4番目の兵器の幕開け(Aircraft in Warfare;the Dawn of the Fourth Arm)」の英文の原書で、日本には200冊以上が輸入されていると推察されます。国立国会図書館には2冊、大阪大学には5冊、九州大学にはなんと7冊も在庫があります。これは大学の教授が個人で買ったあと退職し、これを寄附したからです。しかし第2次世界大戦のために、輸入した本があちこちにあることはすっかり忘れられていました。

日独に勝つ戦法として、「オペレーションズ・リサーチ」を研究

 第2次世界大戦が始まる前、アメリカの国防省は日本とドイツとの戦いは避けられないと考えました。そこで数学者や物理学者、さらに生物学者などその道の達人を何人も集め、どうすれば効果的に日本やドイツに勝てるかについて研究させました。

 これが「オペレーションズ・リサーチ(実際的問題解決法)」という、新しい学問を生むきっかけになったのです。

 このメンバーの1人であった「バーナード・コープマン」は、ランチェスターの法則とゲームの理論の2つを組み合わせ、「コープマンの戦略モデル式」を考え出しました。(注:日本では「クープマン」と呼ばれていましたが、現地に確認したところ「コープマン」と呼ぶのが、日本語の発音に一番近いことが解りました。)

戦後、日本に送られてきた3冊を翻訳

 1951年7月、「オペレーションズ・リサーチ(実際的問題解決法)」の方法がにアメリカで出版されました。品質管理の研究で知られるデミング博士は、「オペレーションズ・リサーチを研究すると役に立つ」といって日本に3冊送ってきました。

 日本科学技術連盟(日科技連)は、さっそくこの本の翻訳に取りかかり、1955年9月に出版されたのです。多くの人が、この本から「アメリカはこのような考え方で日本と戦っていたのか」ということを初めて知ることになりました。それとともにランチェスターの法則を経営に応用する人が多く現われ、このときに第1次のランチェスター戦略ブームが起きています。




※愛知県豊橋市にある「愛知県トヨタ博物館」ではランチェスターカーが大切に保管されています。日本で唯一見学できる所です。
 写真下は2009年10月2日、弊社が開催した「ランチェスターカー見学会と記念セミナー」での見学風景です。ランチェスターカーを間近で見学することができました。当時は地下1階に保管されていました。ランチェスターカーを見学したい方は、「愛知県トヨタ博物館」へお問い合わせください。 

※愛知県トヨタ博物館 愛知県長久手市 TEL0561-63-5151


  ▼写真提供は、愛知県豊橋市のすぎうらあきのり氏です。
    「すぎうら保険設計」0532-38-5935 
 



ランチェスター経営(株)では、
ランチェスター戦略を経営に応用したCD・DVD教材を制作、販売をしています。

                                   ランチェスター経営 竹田陽一



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